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本からの学び~日曜日の住居学~
建築に携わってから色々な書籍を読んでいますが、最も影響を受けた一冊。最近は全然行けていないが本屋さんで手に取ってペラペラと見るのが好きなのですが、目次でワクワクしたのを憶えています。例えば、
住まい方は生き方
住宅の個性って本当?
間取りの本当の意味
住み方の姿勢について
専門家信仰の誤算
派手な見せかけの裏に見える淋しい貧しさ
その中でも
建築家の領分、住み手の領分
がウチのイエづくりの考え方の根幹となっています。
「私たちは素人だ、相手は巷に名高い建築家の大先生である。おまかせすれば、私たちの希望はすべてにかなえていただけるだろう」と、なにもかも任せてしまった住み手が結構多いのだ。まるで十七、八の世間知らずの女の子が、はじめて会った男にすべて幸せにしてもらえると信じ込んで身も心も投げ出してしまったようなもので、何年か後に自己や社会にめざめてきて、「こんなハズではなかったわ」というのに似ている。
冗談ではない、専門家といったところで住居や建築をつくる専門家であるのは事実だが、また一般的な人間の生活像についてもある程度までの専門家であるのも事実でだが、住み手または発注者の生活の細部隅々までの専門家であるはずもなく、たとえ専門家ふうにいわなくとも、そのことに最も深く関わり合い、よく知っているのは住み手自身なのである。
一番よく知っているはずの自分自身のことを、建築という術の専門家であるということだけですべてをまかせてしまったことの過失の恐ろしさを、その辺の実感でつくづく思い知った感じがした。
たぶん住宅というものが自分達の生活そのものにどのくらい深く関係しているかを知らないということもあるのだろう。
(中略)おたがいがそれぞれの部分(建築家は建築の、住み手は自分の住み方の)の専門家であり、逆の立場で素人なのだという認識に立つと、建築家は建築家なりに住み手の素人の部分に関しては、完全にサポートしなくてはならないという義務感が必然的にでてこようし、住み手は住み手で専門家として素人である建築家に対して自己の生活実態を理解させるために自分達の生活そのものに関して実感のこもった分析と判断がくだせるようになるだろう。
(引用:日曜日の住居学/宮脇檀より)
ウチは『つくるプロ』、お客さんは『すまうプロ』の原点です。しかし、ウチの先代もそうでした。昔の大工さんは大体そうだったのかも知れません。『愛着から始まるロングライフデザイン』でも言われていました。が、スクラップ&ビルドとなっていった理由に「すまう」が抜けて言ったことによるところが大きい。家を建てる時に考える事は何LDKにするか?外壁の種類。壁紙の色。あそこのメーカーのキッチン。と「すまう」ところでいうと動線や収納でしょうか?しかし、「収納は際限がない」。適切な収納の大きさはまた別で書くことにします。
僕が影響を受けたのは「新建材のこと」にもあります。
こちらの新建材に共通するのは、第一に薄手なこと。たたくとポコンと音のするものばかり。安手にできているのは省力化の一路を目差しているから。あくまでも生産車に都合良くできているから。次にとにかく表面だけをキレイに仕上げてあること。生産車が自分達に都合良くつくりだした罪の意識から、せめて表面だけはお客さまに媚びようという姿勢のあらわれ。そして共通するのは、みなピカピカ光っていることと、その光り方を客がみな好きなこと。
(中略)苦心して合板に浸透性の塗料で仕上げたつや消しの表面より、クリアラッカーで光った方が好まれるし、同様に、ペンキもつや有りの方が好きだ。デコラも好きで、タイルも好きで、長尺のビニル床材が好きで、クリスタルふうのシャンデリアが好きで……。
光っているのは下品と父親に習って育った旧い世代のわれらは「日本の伝統的な建築には表面だけ光っている材は一切ありませんでした。もし、光っているとしたら、漆のようなにぶい光か、長年手入れしてから奥からにじみ出てきた艶のある木材程度です」などと抵抗してみるがいっこうに効き目がない。とにかくこのところの日本人は、なにやら一億みな光りものが好きなようだ。
(中略)今日の日本人の分析で、終戦によって既存の価値観が根本から崩れ去ることを体験した戦中派の特徴は、一、なにが良いものかの価値観を失っており、一、そのためにメーカーやコマーシャルに押しつけられるものを受動的に受け止めるクセがあり、一、概して新しいものはいいものだ、ものが多いことはいいことだと信じ込まされている。という分析であった。
(引用:日曜日の住居学/宮脇檀より)
コレが書かれたのは1983年4月。40年前であるが今にも通じる。ということは普遍的であると考えます。現在の状勢を考えれば脱炭素も考慮すると外壁は木板しかも道産材となります。コレまでは木板は反る、腐る、燃えると考えていましたが、今年『住宅医』を受講してすべてクリアとなり、メンテナンスを含めて長期的にもサイディングやガルバリウム鋼板よりも価値がある、優位であると言えるので、基本的な仕様として道南杉張りとしています。なんでも理由があるのです。
元来、住居学とは昭和の初期に今和次郎(こん わじろう)氏によっておこされた概念。「住居のことと言えば、建てることばかりいそいで、住居というものの意味をじっくり考えてみることをおろそかにしている風潮に対してものをいってみたい気持ち」(住生活)という今和次郎氏の言葉が正確に示している。
このような考えたをウイットに示してくれていた宮脇さん。いつか建築を見に行きたい…。
そして建築や住まいという本当の意味や形をイエづくりを通じて地域に届けていく。工務店としても使命であると考えます。
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