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馬と生きる町、浦河―伝説の名馬が生まれた場所を訪ねて

2025夏のインターンシップできてくれたミヤビさんによる地域の記事。
今回は馬についてしっかり学びまとめてくれました。馬が近くにいるのはこの地域の人にとっては「あたりまえ」ですが、外の地域からは想像ができない場所です。競走馬という独自の文化にわざわざ触れる事で地域を知ることにつながったようです。
まったく僕も競走馬についてはココで触れていなかったので是非!
日清戦争・日露戦争前後、つまり戦車のような戦争に使う乗り物が発達していなかった頃、戦争に使うための馬を育て訓練するための場所として浦河町が選ばれ、そこから現在まで浦河町と馬の縁が強く残っている。浦河町が選ばれた理由は、本州と比べ涼しい夏、北海道の中では比較的暖かい冬、牧場に不可欠な広い土地を確保できるなど、馬を育てるのに適した環境が揃っているためだろう。現在では、乗馬体験のできる施設が近くにあったり、普通の道路に面している土地が牧場となっていて馬を近くで観察することができたりなど、馬との距離が近い場所だ。
私は馬や競馬について知るために馬事資料館を訪れた。この資料館は無料で見学することができ、中には競馬や浦河町での馬の歴史などが展示されている。私が考えるこの資料館の目玉は、浦河町で生まれたシンザン号、メジロマックイーン号、ミスターシービー号の展示だと思う。
私は競馬をほとんど知らず、友人からウマ娘の話を少々聞いたことがあるレベルの知識しかないため、この資料館の良さを最大限理解することはできないが、競馬素人の私でも聞いたことがある馬が浦河町産だと知り、浦河町は日本競馬界的にも重要な都市なのだと感じた。(メジロマックイーン号とミスターシービー号はすでにウマ娘の作品に登場していたため、名前を聞いたことがあった。)シンザン号はまだウマ娘で実装されていないようだが日本競馬界では伝説となっている馬で、いろんな展示に「シンザンを目指そう」や「シンザンを超えろ」といった文言が散見されるあたり、とにかくすごい馬なのだと思う。個人的には私がウマ娘の作品で一番最初に名前を知ったテイエムオペラオーが、浦河産馬であることに驚いた。(残念ながら、テイエムオペラオー号の展示はなかった。資料館には、2000年から2024年の中央競馬G1優勝馬の名前の書かれた表が掲示されていたため、知ることができた。)
資料館でシンザンがあまりに絶賛されていたため、何がそんなにすごいのだろうと軽く調べてみた。ラブすぽの記事によると、シンザンは1961年に誕生し、史上2頭目で戦後初のクラシック三冠馬となった馬である。その名前を取った「シンザン記念」は、シンザンが1965年に引退してすぐの1967年に重賞として創設された。それほどシンザンは日本競馬にとって強烈なインパクトを残しており、クラシック三冠馬になるだけでなく、その後天皇賞(秋)と有馬記念も勝ち、日本競馬史上初めて「五冠馬」の称号を与えられた「神馬」とも呼ばれる馬でもある。シンザンの引退後、日本競馬界全体の目標として、展示品にもあった「シンザンを超えろ」というキャッチフレーズが生まれた。また、シンザンは競走馬だけではなく、種牡馬としても優秀で皐月賞や菊花賞を勝ったミホシンザン、菊花賞を勝ったミナガワマンナをはじめ重賞勝ち馬を多く輩出している。さらに、1969年から1992年まで24年連続でシンザンの産駒が勝利しそれは当時の日本最長記録となった。このように長らく近代日本競馬に貢献してきたシンザンは、1995年に当時のサラブレッド日本最長寿記録を更新し、さらに1996年5月3日には当時の軽種馬(アラブ馬も含む)の日本最長寿記録も更新するほど長生きし、1996年7月13日に老衰で亡くなった。
上記の記事をまとめると、とにかくシンザン自身が競馬で強く、シンザンの産駒もまた強く、そしてとんでもなく長生きしたというレジェンド級の馬のようだ。
ちなみに、ウマ娘ファン界隈の中でもシンザンの実装は望まれているようで、特に中央競馬史上初の無敗の三冠馬で、その強さから「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフとの絡みを楽しみにして(妄想して)いるファンもいるようだ。(展示品にも「シンザンを超えろ」と競馬界で言われ続け、ついに現れたシンザンを破るほどの強い馬の一角がシンボリルドルフだと書かれていたため、ファンの妄想が捗るのも納得である。)
総括すると、浦河町は馬が好きな人は牧場の見学や乗馬体験を楽しめる、また競馬が好きな人は伝説級の名馬の歴史そしてその出生地を実際に訪れることで、その空気感を楽しむことができる町だと感じた。
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