初めまして。東京農業大学で学びながら、「会うと人生が変わる人」を目的地にする観光事業『ヒトマップ』を展開している、加藤貴也と申します。
北海道・浦河町にある神馬建設でのインターンシップ。その最終日の夜、私は町の小さなスナックで、自分でも驚くほどの熱量で「自分の話」をしていました。 本記事では、いつもは「聞き手」に徹する私が、なぜ最終日の夜に自らのエゴを解放できたのか。そして、神馬建設という企業の持つ器の大きさについて書きます。
「傾聴」という名の防衛本能
私の普段のコミュニケーションにおけるスタンスは、まず、相手の話を聞く。相手に純粋に関心を寄せ、その上で自分に注目が向いた時だけ、自分の話をする。というような感じです。
これは私のような、強い好奇心を持ちながらも他者のノイズに過敏に反応してしまう人間にとって、聞き手に回ることは自分を守るための防衛本能でもあります。相手の話に耳を傾けながら、その人との安全な距離感を測る。自分が傷つかないために無意識に行っています。
インターンの初日にも、私は同じスナックを訪れていました。 その時は、周りが社長ばかりの集まりだったこともあり、ひどく緊張していました。自己紹介も表面的なものに留まり、ひたすら周囲の空気を観察することに徹していました。 しかし、その観察の中で、私は浦河の特異な「におい」に気づいていました。スナックのママとお客さんが、完全にタメ口で、家族のように笑い合っていたのです。田舎特有のコミュニティの狭さと言ってしまえばそれまでですが、仕事とプライベートの境界線が溶け合ったその空間には、都会にはない「血の通った温かさ」が充満していました。
そして、最終日の夜。 初日と同じスナックでしたが、空気はまるで違いました。インターン生たちが神馬社長を囲むように座り、そこには完全に「安全なイエ」のような温かい空気が漂っていました。 その中で、ふと私に視点が向く瞬間がありました。普段なら適度に言葉を濁して聞き手に回る私が自分の事業であるヒトマップの哲学について、猛烈な勢いで語り始めてしまったのです。
「道端の二宮金次郎の石像に、本物のメガネが掛けられていたんです。都会なら悪戯で終わるそれに、私は見知らぬ誰かの体温を感じました」 「人間臭くないモノなんて、この世にはない。人が関わっている限り、人工物にはすべて人間のにおいが染み付いているんです」
息継ぎも忘れるほど熱弁を振るいながら、私の頭の片隅には「少し自分語りが過ぎるのではないか」「自分のことを理解してほしいという、ただのエゴではないのか」という不安がよぎっていました。 しかし、言葉は止まりませんでした。私は、自分の奥底にある「人間への愛と恐れ」のすべてを、目の前の神馬社長にぶつけていたのです。
不安を抱えながら熱弁する私に対し、神馬社長は話を遮ることも、否定することもありませんでした。 ただ終始、とても優しい笑顔を浮かべながら、「いいね、いいね」と何度も深く頷いてくれていました。
そして、私が一通り話し終えた後、神馬社長は静かにこう言いました。
「君はそのままでいいんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、私の周りの空気が、ふっと数度上がったように感じました。 かつて、中学校のトイレの個室で一人弁当を食べながら、外の世界に出ることを恐れていた自分が、その言葉によって救われた瞬間でした。「あぁ、私は私の繊細さや、モノに執着する偏愛を、隠さなくていいのだ。これが私の最大の武器なのだ」と、肯定されたのです。
私が最終日に自分のエゴを解放できたのは、私自身の勇気ではありません。神馬社長が、初日から時間をかけて、私が安心して自分の「におい」を出せる心理的安全性を創り上げてくれていたからです。
「聞き上手」とは、ただ黙って相手の言葉に相槌を打つことではありません。相手が「この人になら、自分の熱苦しいエゴを晒しても絶対に受け止めてくれる」と確信できるだけの、器の大きさを示すことです。神馬社長の「いいね、いいね」という笑顔は、最高の傾聴の姿でした。
私はこの浦河の夜、最高のロールモデルに出会いました。 私がこれから「ヒトマップ』で創り出していくのも、ただの観光インフラではありません。ホストと参加者が、あのスナックの夜のように、お互いの隠していた人間臭いエゴを安心してぶつけ合い、そして全肯定し合える「心の安全基地」です。
自分が語ることに恐れを抱いていた私を、最強の語り部へと変えてくれた神馬社長と、浦河の温かい夜に感謝しています。