日常に戻って、しばらく経ってから気づくことがある。
浦河にいたとき、自分は何かに気づきかけていた。でもそれが何なのか、滞在中はうまく言葉にできなかった。町の空気の中にいると、考えるより先に体が動いていた。話して、歩いて、見て、また話す。一週間はあっという間に過ぎた。
問いが言葉になったのは、神戸に帰ってからだった。
いつも通りの朝だった。電車に乗って、人の波に混ざって、目的地まで移動する。スマホを見ながら歩いている人の隣で、同じようにスマホを見ながら歩く。その動作が、ふと、ひどく機械的に感じられた。
そのとき、浦河の国道が頭に浮かんだ。
大型トラックが走り抜けていくあの道。でも神戸の雑踏とは、どこかが違った。車が多くても、あの道には妙な静けさがあった。いや、静けさというより、「目的がある動き」とでも言えばいいか。誰かが何かを運んでいて、誰かが何かを作っていて、それが誰かの食卓につながっている。そういうことが、道を見ているだけで何となく分かった。
神戸の電車の中では、何が動いているのか分からない。自分も含めて、みんなどこかへ向かっているはずなのに、その流れの意味が見えない。
浦河が最初に突きつけてきた問いは、たぶんこれだった。「あなたは今、何につながって動いていますか」と。
浦河では、生活が近かった。
漁師が昆布を採って、大工が家を建てて、牧場が馬を育てる。誰かの仕事が、誰かの暮らしに直接届いている。それが目に見える距離にある。
都市では、その距離が遠い。食べ物がどこから来るのか、自分の仕事が誰の役に立っているのか、そういうことがひどく抽象的になっていく。便利さと引き換えに、つながりの感触が薄れていく。
浦河にいたとき、それがぼんやりと気になっていた。でも言葉にはできなかった。神戸に帰って、スーパーの棚に並んだ均質なパッケージを眺めながら、ようやく「あのとき感じていたのはこれか」と思った。
自分は何に触れながら生きているのか。どこで、誰と、どんな速度で生きたいのか。浦河は答えをくれなかった。ただ、問いだけを置いていった。
高校生が「何もない」と言っていたことも、時間差で引っかかってきた。
あのとき自分は、「そんなことはない、豊かな場所だ」と思っていた。でも帰ってきてから、もう少し複雑な気持ちになった。
あの高校生たちは、この先どこへ行くのだろう。都市に出て、便利さの中で生きるのか。それとも浦河に残って、あの暮らしを続けるのか。どちらが良い悪いではなく、ただ、彼らの「何もない」という言葉の重さが、以前とは違って聞こえてくる。
豊かさとは何か。便利さとは何か。都市に生きる自分にとって当たり前だったものが、当たり前ではない何かとして、少しずつ輪郭を変えていく。
帰ってしばらく経ったある夜、浦河の銭湯のことを思い出した。
見知らぬ人に話しかけられて、たいした会話でもないのに妙に温かかった。都市の銭湯でそういうことはほとんどない。隣に人がいても、それぞれが自分の時間の中にいる。それが居心地いいこともある。でも浦河では、見知らぬ人との境界が、もう少し柔らかかった。
外から来た人間を、少しの好奇心と大きな寛容さで迎え入れてくれる。その感覚が、じわじわと後から来た。
自分は日常の中で、誰かとそういう時間を持っているだろうか。答えはすぐには出なかった。
浦河が突きつけてきた問いは、まだ答えが出ていない。
何を豊かさと呼ぶか。どんな速度で生きたいか。誰とつながって、何に触れていたいか。
一週間の滞在で、答えが出るような問いじゃない。でも問いがあるということは、それまで問わずにいたということでもある。当たり前だと思っていたものを、当たり前として疑わずにいたということだ。
浦河は、答えをくれる場所じゃなかった。ただ、問いを持ち帰らせてくれる場所だった。
そしてたぶん、それで十分だったのだと思う。問いを持って生きることと、何も問わずに生きることのあいだには、小さいようで大きな差がある。
あの町に行ってよかった、と思うのは、絶景を見たからでも、特別な体験をしたからでもない。日常に戻ってから、自分の中に静かな問いが残っているから。それが浦河の置いていったものだった。