「地方は何もない」
正直、これまでずっとそう思っていた。不便で、刺激が少なくて、なんとなく手持ち無沙汰になる場所。都市で育った自分にとって、地方というのはそういうイメージで、とくに疑うこともなく受け入れていた。
浦河という名前を聞いたときも同じだった。白地図に「浦河」と書かれても、ピンを刺せる気がしない。北海道のどこかにある町、という以上のことは何も浮かばなかった。そんな場所に、インターンシップで行くことになった。
着いてみて最初に思ったのは、「何もない」という言葉の使い方が少しずれていたな、ということだった。
確かにチェーン店はないし、大型の商業施設もない。遊ぶ場所という意味では、都市とは比べものにならない。でも実際に暮らしに触れてみると、その言葉では拾いきれないものが、あちこちにあった。
浦河は海と山に囲まれた町で、漁師が昆布を採り、牧場ではサラブレッドが育てられている。観光のためにつくられたわけじゃない、ここで生きてきた人たちの生活が、そのまま続いている。滞在中に牧場の近くを歩いたとき、柵の向こうで馬がのんびりと草を食んでいた。特別な演出でも何でもなく、それがただの日常としてそこにあった。
地元の高校生と話したとき、それをはっきりと感じた。彼らは「何もない」と言いながら、海や山や馬のことを自然に語っていた。特別なものとして紹介するわけじゃなく、ただ自分たちの日常として話していた。その温度感が、なんというか、都市では少し珍しいものに思えた。自分の地元のことをあんなふうに話せるだろうか、と考えると、正直自信がなかった。
この町には価値がある。ただ、それが外に向けてうまく言葉になっていないだけなんじゃないか。「何もない」のではなく、「伝わっていない」だけなんじゃないか、と思った。
そこで頭に浮かんだのが、エコツーリズムという考え方だった。
自然や文化を守りながら、その価値を体験として共有していく観光のかたち。消費するためじゃなく、関わるための観光、とでも言えばいいか。有名な景勝地を眺めて写真を撮って帰る、というのとは少し違う。その土地の暮らしや自然に実際に触れることで、初めて見えてくるものがある、という考え方だ。
浦河には、その土台がすでにある気がした。
新しく何かを作る必要はない。昆布の採取や加工を体験できる機会をつくるとか、牧場で馬と人の関係を知るとか、この土地の地形や気候が暮らしにどう影響しているかを歩きながら感じるとか。もともとそこにあるものに、少しだけ触れられる形をつくればいい。大げさな仕掛けは要らない。むしろ、余計なものを足さないほうがいい。
関わるだけで、見え方は変わる。それを今回のインターンで実感した。
印象的だったのは、リピーターが多かったことだ。
以前にも浦河に来たことがある、という参加者が少なくなかった。なぜまた来たのか、と聞いても、はっきりとした答えは返ってこない。「なんとなく」「また来たくなって」という言葉が多かった。でも「また来た」という事実は確かにある。一度来た人が、理由もうまく説明できないまま戻ってくる。それはある意味、言葉で説明できる観光地より強いんじゃないか、とも思った。
つまりこの町は、来た人はまた来る。でも最初に来る理由が弱い。
そこにエコツーリズムが機能する余地があると思う。自然や暮らしに触れる体験が「最初のきっかけ」になれば、リピーターになる可能性がある人を呼び込める。体験を通じて町に関わった人は、ただ通り過ぎた人より、もう一度来る理由を持ちやすい。
ただ、やりすぎると台無しになる。整備しすぎてしまうと、どこにでもある観光地になってしまう。浦河の良さは、余白があるところだと思うから。その余白に自分が入り込む感覚、それがこの町の引力みたいなものだと感じた。完成されていないからこそ、関わる隙間がある。
一週間しかいなかったのに、帰ってからも「また行きたい」と思っている。
理由はうまく説明できない。人の温かさとか、町に流れているゆっくりした活力みたいなものに触れたことが、たぶん大きかった。あと、自分がまだ知らないものがあの町にある、という感覚が残っている。一週間では全然足りなかった、という気持ちが、「また行きたい」につながっているのかもしれない。
「何もない町」だと思っていた場所が、関わることで初めて見えてくる町だった。そう気づけたこと自体が、今回のインターンでいちばん大きな収穫だったと思う。