神馬さんの言葉が、軸になっている
ある夜の告白から考えること
「ごめんなさい、まとまってないんですけど」
そう言いながら、それでも話し続けた。神馬さんが目の前にいる夜に、ずっと言えなかったことを言おうとしていた。
迷っていた1回目
初めて浦河に来たのは、人生にものすごく深く迷っていた時期だった。
大学で心を許せる友人が去って、心が不安定になって、図書館に逃げ込む日々が続いていた。「何かしなきゃ」という焦りだけがあって、でも何をしていいかわからずただがむしゃらに大学の図書館とインターンを実践する日々であった。髪を伸ばせば変われるかもしれないと思って伸ばしてみたが、変わらなかった。
そんな時に偶然見つけた、神馬さんのインターン募集。「すごい面白い考え方するところだな」と思って、とりあえず応募した。それだけだった。
「第2の故郷」という言葉の重さ
言葉で表現すると嘘みたいに聞こえるかもしれないけど、本当のことを言っている。
浦河に来た時、第2の故郷みたいだと思った。
人の温かさ。あんなに深いことを考えている社長さんを僕は見たことがなかった。僕の世間が狭かったのもあるかもしれないが。自分が学んでいた地方創生との共鳴。実際に起こっている問題に対して構造的にも現場で泥臭く実践している人に初めて出会った。「この町に何か残したい」という気持ちが、大学に戻ってからもずっと消えなかった。授業でエネルギーをテーマに事業計画のレポートを書く機会があった時、迷わず浦河を題材に選んだ。神馬さんにも見せた。夏に浦河町に来てプレゼンテーションを行う場を設定しようとしてくれたが、夏に都合がつかず延期となった。
あの時もらった言葉は、今も自分の軸の一部になっている。
1回目と2回目のあいだに育ったもの
帰ってからの一年間、神馬さんに勧めてもらった知の編集工学を読んだ。この本でためになったことは、次回のnoteに書こうと思う。神馬さんの講義で「人的資本」という考え方に引っ張られて、ひたすら人に会い、インタビューを続けた。自分から会いたい人にアポイントメールを打って、会いに行くようになった。それも浦河で何かが変わったからだと思う。
そうしているうちに、「人生史マップ」というビジョンが少しずつ言葉になってきた。一直線的なキャリア観を壊したい。いろんな人の生き方を地図として可視化して、もっと多様な人生の選択肢を社会に提示したい。その思想の種の一部は、確実に浦河の神馬さんから渡されたものだ。
2回目に来た時、僕が見ていた風景が違った。
マンホールの模様。鳥の名前。かつて踏切りがあった場所の気配。トマソンと呼ばれる都市の余白に残された不思議な造形物。「逆に東京だと物がありすぎて見えないものが、ここでは見える」と感じた。1回目には何も見えていなかったものが、見えるようになっていた。これは浦河が変わったのではなく、1年間で自分の中に育った何かのせいだと思っている。
引力という感覚
「いい意味で変わらないな」と思った。
神馬さんも、この町も、あの感じが変わっていなかった。そしてその変わらなさに、また引っ張られている自分がいた。論理的な理由ではない。うまく言えないけど、「自分はこれからもここに関わり続けるだろうな」という確信みたいなものが、ただある。
だからヒトマップ共同代表の加藤君を連れてきた。「この街にもっと人が流れるような仕組みを作りたい」と思って。それが浦河への、今の自分なりの還元のつもりだった。
言えていなかったこと
神馬さんは多分、毎年いろんな学生と話して、本を勧めて、自分の考えを伝えている。その言葉がどこへ届いているか、普通は知る機会がない。
でも僕は、伝えたかった。あなたの言葉が、自分の軸になっていると。
まとまっていない話だったと思う。でも、整理してから言う言葉より、もがきながら出てきた言葉の方が、本当のことに近い気がしている。
あなたに伝えたいことがある人は、きっとあなたの周りにもいる。まだ言葉になっていないだけで。