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解決は、いつも「嫌な方向」にある。 ~ゲストハウスで出会った建設職人が教えてくれたこと~

解決は、いつも「嫌な方向」にある。 ~ゲストハウスで出会った建設職人が教えてくれたこと~

ぼくは旅先で、知らない人と話すのが好きだ。

正確に言えば、「知らない人」だからこそ話せることがある、と思っている。
出自も肩書きも関係なく、ただ「今夜、同じ屋根の下に偶然いる人間」として向き合える時間。その濃密さは、整然と用意された出会いの場よりも、旅の空の下、偶然すれ違う人との対話にこそ世界の真実がある。そう信じる思いは、旅を重ねるほどに強くなっていった。

その夜も、ゲストハウスの共有スペースで、ぼくは長谷川さんと話していた。

帯広出身の建設職人
長谷川さんは北海道・帯広の出身で、建設業に長年携わってきた人だった。
仕事で日本全国を飛び回り、函館から釧路まで車で6時間かけて移動したことも、浜松や四日市まで出向いたことも、当たり前のようにさらりと言う。

「行きたくないんだけど、あちこち行ってんだけどね」

その言い方がおかしくて、ぼくは笑った。行きたくないのに全国を歩き回っている。若い頃は楽しかったが、今は正直しんどい。でも、その移動の蓄積のなかに、彼の人生の地図があると感じた。

北海道の話になった。
留萌、石狩、古平。ぼくが旅で訪れた地名を挙げると、長谷川さんはほとんどすべてに「行ったことあるよ」と答えた。
「北海道って、死んでも回りきれなさそうですよね」と言うと、「うん」と短く笑った。
その「うん」には、実際に回り続けてきた人間だけが持てる重みがあった。

「問題があるところに、解決がある」
話が深まったのは、ぼくが少し踏み込んだ質問をしてからだった。

「壁にぶつかったとき、どうしますか?」

長谷川さんはしばらく考えて、こう言った。

「問題があるってことは、解決もすぐそこにあるんです。ただ、みんなそれがわかんない」

問題が起きた時、解決策への最短ルートはいつも決まっている。
それは、自分が向きたくない方向に向くことだ、と彼は言う。

「みんな嫌な方向は全部避けるじゃないですか。いい方向にばっかり向く。でも、問題の答えは、たいていその嫌な方向の先にある。背を向けてるだけで、解決はもうそこに見えてる」

ぼくは黙って聞いていた。

これは、精神論じゃない。長谷川さんは構造の話をしていると後から記憶を思い出しながらそんなことを思った。問題とは、ある種の非対称性だ。自分が直視したくない何かと、現実のあいだにできた歪みである。その歪みの根っこを見ないかぎり、どんなに「いい方向」へ逃げても、問題は解消されない。

「例えばですけど、宿でうるさく寝てる人がいるとして、声をかけたら解決する。でも声をかけられない。そういう時、声をかけるのが嫌な方向だから、みんな向かない」

確かにそうだ。かつての私も、幾度となく「嫌な方向」から目を背けてきた。 長谷川さんの言葉は、当時の自分に向けられているようで痛いほど刺さった。それでも私が、あえて昔の愚直な自分に立ち返って言葉を受け止め続けたのには理由がある。自分がこの痛みから逃げずに引き受けた分だけ、同じ葛藤を抱える誰かの心に届く切実な記事が書けると、話を聞きながら肌で感じていたからだ。

言いにくいことを言わずにいて、問題だけが積もっていく経験を、思い当たる人はどれだけいるだろうか?

職人の哲学——「仕事の内容を見てもらって、金は後からついてくる」
長谷川さんは若い頃、「仕事の内容を見てもらって、金は2度継ぎ」という主義で働いてきた、と言っていた。

金を目的に仕事を選ぶのではなく、自分の腕と技術を磨くことに集中する。腕が上がれば、単価は自然についてくる。
「職人みたいな、手に食つける仕事だから」と彼は言うが、これは建設業だけの話じゃないとぼくは思う。

何かを表現したり、作ったり、人に届けたりするすべての仕事において、「内容への誠実さ」だけが本当の信頼を生む。

そして、その信頼の積み重ねがはじめて、適正な対価へとつながっていく。
逆算で「どうすれば稼げるか」を先に考えると、内容が空洞になる。内容が空洞なものは、信頼されない。信頼されないものは、長続きしない。

長谷川さんはそれを、頭の理論ではなく、身体で知っている人だった。

挨拶という最小単位の誠実さ
もうひとつ、印象に残ったことがある。

挨拶の話だ。

「最低でも、おはようございます、お疲れ様です、ありがとうございますって言える人が、意外に少ない。でも、それができる人っていうのは、聞く耳を持ってるってこと。それが、その人自身の成長にもなる」

「挨拶しても返ってこない人いますよね」とぼくが言うと、「すぐパッと分かるじゃないですか、要注意人物かどうか」と彼は静かに笑った。

これは面白い見方だ。
挨拶は、マナーじゃない。

「今ここにいるあなたを、ちゃんと認識しています」という最小単位の表明だ。
それができない人は、他者の存在を認識するための回路が、どこかで閉じている。
逆に言えば、挨拶がちゃんとできる人は、他者に対してオープンな回路を持っている。
そういう人のそばには、情報も、縁も、機会も、自然と集まってくる。

「若者に知恵を、老人に体を」
会話の途中で、ぼくは「若者に知恵を、老人に体を」という言葉の話をした。

若い人は時間と体力があるけれど、知恵がまだ少ないからやらかす。年を重ねた人は体は衰えても、経験の蓄積から見える景色がある。

長谷川さんはしばらく考えて、言った。

「確かにそれは意味あるね。だけど、今のこの時代に、昔みたいなやり方で若者に知恵を伝えようとしても無理なんです」

昔は、上から叩かれながら覚えた。今それをやったらパワハラだ。
だから伝え方も変えなきゃいけない。でも、伝えるべき本質は変わらない。

問題は「向きたくない方向に向く勇気」が必要だということ。基本的な言葉を丁寧に使えること。腕を磨くことに誠実であること。
これらは時代が変わっても、人間が何かを成し遂げようとするかぎり、有効であり続ける。

学生の時にしか勉強できないことがある
「学生の時しか勉強できないことがあるんです」と、長谷川さんは言った。

社会に出てからも勉強は続く。資格を取るためにも、仕事を深めるためにも、人は一生学ぶ。
でも、学生時代だからこそ吸収できる勉強の質感がある。

それは、役に立つかどうかに縛られない、純粋な知の探索だ。
微積分でも、地理学でも、民俗学でも、それが「何の役に立つか」を問わずに深く潜れる時間は、人生でそう長くはない。

ぼくは民俗学と地理学を学んでいると言ったら、「そういうの面白いですよ。分野が横断してるからね」と長谷川さんは言った。
建設という、ある意味で最も具体的な仕事をしてきた人が、「分野横断」の面白さをわかっている。

実務の人間ほど、抽象と具体を往来することの価値を知っている、とぼくは思う。

おわりに——ゲストハウスで話すということ
別れ際、「結構楽しかったです」とぼくが言うと、長谷川さんは「うん」と短く頷いた。

彼は明朝チェックアウトして、また仕事の現場に向かうのだという。
ぼくは翌日、富良野のゲストハウスへ向かう。

路線も目的地もちがう。年齢も、生きてきた時代も、仕事もちがう。
でも、同じ夜に同じ場所で、人は意外なほど深い話ができる。

問題があるところに解決がある。
解決は、いつも嫌な方向の先にある。

旅の途中で聞いたその言葉を、ぼくはしばらく持ち歩くつもりだ。
いつかどこかで壁にぶつかった時、あの人の「うん」という短い相槌と一緒に、思い出すだろうから。

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