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反抗期のない若者・オヤカク世代論

反抗期のない若者・オヤカク世代論

親に確認してから、決めます。
ゲストハウスまさごで、話がそこへ辿り着いた。

就職活動の話をしていたとき、誰かがぼそっと言った。「最近の就活生って、内定出ても親に確認してから返事するらしいよ」。へえ、と相槌を打ちながら、ぼくはちょっと笑ってしまった。でもすぐに、笑えなくなった。

「オヤカク」という言葉がある。企業が内定者の親に向けて会社説明会を開いたり、採用担当者が学生の親と直接連絡を取り合う慣行のことだ。数年前から少しずつ広がってきたと聞いていたが、当たり前のこととして語られるようになったのはいつからだろうか?

その日の会話で、ひとりがこう続けた。「なんか今の若い人って反抗期がないらしいんだよね」。

ぼくはそれを聞いて、自分のことを振り返った。ぼくの場合、小学生の頃から自己主張が強くて、周りと衝突してばかりいた。だからこそ「反抗期がない」という感覚が、最初はどこか他人事に聞こえた。

でもよく考えると、話はもっと複雑だった。
ゲストハウスにいた別の人は言った。「お姉ちゃんがすごかったから、自分は反抗しなかった」。上の子どもが反抗して、親が消耗して、それを見ていた下の子どもが学習する。反抗という行為のコストとリターンを、子どもながらに計算していたわけだ。合理的といえば合理的だし、なんとなく寂しい話でもある。

反抗期がないのは、不満がないからだ!という意見も出た。確かにそうかもしれない。物質的には豊かで、親も「うちの子の意見を尊重したい」と言う時代に育った世代が、わざわざ反旗を翻す必要はないのかもしれない。不満の燃料がないまま、大人になっていく。それは果たして良いことなのだろうか?という問いとは別に

ぼくが引っかかったのは別の部分だった。

反抗期がない、というのは本当に「不満がない」ということなのだろうか?それとも、不満はあるけれど「表現しない」ことを覚えてしまったということなのだろうか?

各地を僕が歩きながら、いろんな人の話を聞いていると、若い人たちの中に「怒りの言語」つまりこれを世の中に働きかけたい、こんな社会を実現したい!未来空想力を持っていない人が多いと感じることが度々ある。怒っていい場面で、怒れない。不満があるとき、それを言葉にする練習をしてこなかった。だから親に「どう思う?」と確認することが、意思決定の一部になってしまう。

親が悪いわけではない。過保護にしたくてしたわけでもない。ピアノを毎日一緒に練習して、学校の悩みに寄り添って、就活の説明会まで一緒に来て。それは愛情だ。でもその愛情が、子どもの「自分で決める筋肉」を少しずつ萎えさせてしまったとしたらそれはどうなんだろうかと思う。

ぼくは旅をしながら、「決断する人」に何度も出会ってきた。会社をやめて地方に一点突破で移住した人、世界一周を経た後で、ゲストハウスをしている人、家族に反対されながら自分の好きな道を選んだ人。そういう人たちに共通していたのは、「親の顔色ではなく、自分の身体感覚を信頼している」ということだった。

親に確認してから決める、という習慣は、一見すると慎重で協調的に見える。でもその奥に、「自分の感覚を信じていい」という経験の不足が隠れているとしたら、それはちょっと切ない話だと思う。

反抗期がなかったことを、誇るのか。惜しむのか。その問いに正解はないが、ぼくはたぶん、少しだけ惜しむ側に立っている。ぶつかることで、ひとは自分の輪郭を知る。親でも先生でも社会でも、何かに抵抗した瞬間に「ぼくはこういう人間だ」という感覚が生まれる気がするから。

その日の夜、大富豪をやりながら、ぼくは誰にも言わずにそんなことを考えていた。

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