Information

血肉になった言葉は、もう刺さらない

血肉になった言葉は、もう刺さらない

去年も、この浦河町にいた。

同じスライド、同じ言葉、同じ「自分らしく生きてください」という問いかけ。あのとき、ぼくは人生迷走中であった。一体、自分らしさとは何だろうか。より良い人生を送るにはどうすればよいだろうか?いろんな問いが次から次へとにあふれ、もだえ苦しみながら、けどどこかでこの状況になっている自分を楽しんだ一年間であった。そういう日々の中でこの神馬さんの講義を聞いた去年のぼくに、ある言葉が地面に杭を打つように刺さった。

「時間資本」と「居場所の選択」だ。

若者が持っている資本はただ一つ。それは、あまりある時間資本だという。その時間を、成長している場所に投下することで、人的資本に変換されていく。どこにいるかが、人生の蓄積の効率を変える。去年のぼくはその言葉を、渇いた地面に降る恵みの雨のように受け取った。就職先を選ぶことに限らず、何かを選択するということが、自分の時間をどんな場所との間でどんな人と過ごすかの選択だという視点は、ぼくの景色をがらりと変えた。

今年、同じ言葉を聴いた。

刺さらなかった。正確に言えば、去年ほどは、刺さらなかった。

 

今年のぼくは、就活をしていない。

その代わりに、ヒトマップに夢中になっている。人の人生史を地図として可視化するコミュニティでもあり、プロジェクトだ。インターン生を受け入れ、企業と連携し、コミュニティを育て、各地で人の声を聞き書きしている。論文も書かなければならない。鳥取に民宿の動向調査に行く予定がある。旅インターンを設計するワクワク心躍らせる仕事がある。北海道から持ち帰った話を、まだ言葉にできていない。

「就活より優先していることをひと言で言うなら」と自分に問うと、答えは一文では収まらなかった。ヒトマップを形あるものにすること。旅学を打ち立てること。各地の声を聞き書きすること。そして——25歳まではふらふらすること。

その「25歳まで」という言葉は、3つ年上の海外の友人から僕の地元といってよいのか分からないが渥美半島の海辺を歩いているときに言われた。夕日が落ちかけていて、波はザーザーと静かに打ち寄せていた。ぼくはその日、ヒトマップのこと、人生史研究のこと、いろんなことをしているけれどこのまま突き進んでいいのかという話をしていた。友人はぼくの話をじっと聞いたあとで、静かに言った。

「すぐに選ばなくていいんじゃない?」

押しつけではなかった。夕日と波音の中で、ただそっと差し出された言葉だった。ぼくが敬愛する独立研究家の山口周さんと同じニュアンスをその友人も持っていたことが、不思議と印象に残った。隣に座った誰かが「そのままでいい」と言ってくれるときの温度で届いた。受け取ったとき、ぼくは何かが緩むのを感じた。

 

「時間資本と居場所の選択」の話が始まったとき、ぼくの頭の中にはヒトマップのことが浮かんでいた。

後ろめたさは、なかった。

それがふしぎだった。神馬さんの講義を受けながら、講義と関係のないことを考えている。普通なら「ちゃんと聞かなければ」という焦りが来るはずだ。でもそうならなかったのは、頭の中に浮かんでいたのがこの一年間行ってきたことの確認作業を行っていたからだと思う。

講義の言葉をまるでポッドキャストを聴く感じで、ぼくはヒトマップの現在地を、その言葉で測っていた。

時間資本を人的資本に変換している一年間だっただろうか。変換しているとしたらどこが課題で、どこがもっと伸ばしたほうがいいところだっただろうか?ぼくが今活動している場所は、成長している場所だろうか。仲間と交わす言葉、企業の人との対話、各地で出会う人の声。それらはちゃんと、ぼくの中に積み上がっているだろうか?そういう問いを、講義の言葉が静かに引き出してくれていた。

一言で表すと去年、言葉は自分の道を示す地図だった。今年、言葉は一年間全力で生きたことを確認する鏡だった。

地図ほどには刺さらない。でも鏡には、今の自分が映る。

 

ただ、今年の「居場所の選択」という言葉は、去年と少し違う意味合いでとらえていた。

去年のぼくは、それを「どの会社に入るか、どんな仕事を行うか」という問いとして受け取った。でも今年のぼくは、もっと手前の問いとして受け取った。就職先を選ぶことより先に、どんな仕事を作り、どの場所で生きるかということ。どの土地に根を張るかではなく、どの土地に周期的に戻ってくるかということ。

 

そのとき、ある言葉を思い出した。

南極大陸に20年強いたことがある
ぼくの思想形成に根本的な影響を与えてくれた三浦先生の言葉だ。先生のオフィスアワーに相談に行ったのは、心が相当疲弊していた時期だった。部屋には本がいたるところに積まれていて、先生の温かみのある匂いがして、いつものように紅茶か緑茶を出してくれた。ぼくが話し終わったあと、先生はぽつりと言った。

「旅ができるのは、帰ってくる場所があるからだよ」

その言葉がこの一年、じわじわと体に染み込んでいる。野生動物が住処ある種の故郷を持つように、周期性を伴って戻ってくる場所さえあれば、特定の一か所に固執する必要はないのではないだろうか。最近、ぼくはそう思い始めている。

そして今、その故郷を探す旅の途中に、ぼくはいる。ここ浦河町も僕の故郷になりつつある。昨年、僕はこの町からありとあらゆる恵みを頂いた。それは、食、ヒト、思想、生き方、スタイル、エネルギーに対する捉え方、そもそも家とは?意思決定における基準挙げればきりがないほどにである。
神馬さんからお誘いがあったとき、僕はこの町にどのように還元できるかを相棒と共に考えながら来訪した二回目でもあった。相棒にもこの町を好きなってもらいたかったし、彼とヒトマップを作るうえで重要になると考えたためである。この故郷を好きになるような人が流れるようにはどうすればいいかだろうか?そういったことを設計するためだけではなく相棒にもこの町を純粋に好きになってもらい同じ視座で物事を語りたかったのである。相棒とこの浦河町に訪れた。

生まれは愛知県名古屋市だ。一歳のときに神奈川県横浜へ引っ越し、中学三年で名古屋に戻り、高校まで過ごした。大学から青森に来た。

移動の多い幼少期だった。祭りがなかった。郷土食もなかった。おせっかいを焼いてくれる近所のおばちゃんもいなかった。鍵っ子で、常にどこか寂しかった。

その寂しさが最も鋭く研がれたのは、中学から高校にかけてだ。好奇心だけは人一倍強かったのに、人との摩擦を過剰に恐れていた。グループの会話にどう割って入ればいいか分からなくなり、気づけば孤立を深めていた。

最も印象的な記憶は、図書館での出来事だ。

友人たちと弁当を囲む同級生の賑やかな声を壁越しに聞きながら、ぼくは図書館に閉じこもり、一人で黙々と本を読んでいた。誰にも見られない安心感と、誰とも繋がれない絶望感が、同時にそこにあった。

でもその孤独な乱読の時間が、かえって「人間を知りたい」という強い欲求を生んだ。直接向き合うのが怖いからこそ、ぼくは相手の些細な言動や声のトーンから、言葉の裏にある感情を想像し、読み取る訓練を無意識に重ねていた。

青森に来て周りの学生と話すうちに、ぼくはある感覚を持つようになった。

地元がある子は、いいなぁ。純粋にそう思った。

地元を誇る友人の話を聞くとき、ぼくは純粋に嬉しくなる。むしろもっと自慢してほしいくらいだ!あの目がきらきらと輝く瞬間が好きなんだと思う。その土地の祭りの話、幼馴染との記憶、方言に滲む内面性あふれる温度感。そういうものを持っている人の話を聞くたびに、ぼくの中で何かが静かに疼く。

 

ぼくには、帰る故郷がない。

正確に言えば、どこも故郷になりきれていない。名古屋も横浜も、それぞれにぼくの記憶が宿っている。でも「ただいま」と言える場所が、どこにもない。

だからこそ、ぼくは旅をしている面もあるのかもしれない。各地の声を聞き書きしながら、ぼくが本当に探しているのは「自分の故郷」なのかもしれない。誰かに与えられた地元ではなく、自分の足で歩いて、自分の目で見て、「ここだ」と感じる場所を。

石狩のゲストハウスオーナーの美智子さんのことを思う。

ヒトマップで実践している「曼荼羅の構造」という考え方がある。
すべての点が中心になりうるという思想だ。
どこか一つが中心に君臨するのではなく、関わるすべての人が、それぞれの場所で中心として輝いている。そういうコミュニティの形だ。

美智子さんのゲストハウスは、その構造をそのまま体現していた。

周りに人があふれていた。「美智子さんのためなら」と言う地域の人が、呼ばれるでもなく自然と集まってくる。ゲストハウスだけでなく、カフェ、バー、地域食堂も手掛けるバイタリティ。その中心にいながら、彼女は決して「ここはわたしの場所だ」という顔をしていなかった。誰もが自分の場所として感じられる空気を、美智子さんは自分の存在でつくっていた。

楽観的な性格も、ぼくと似ていた。愛されている人だった。

ぼくはこんな場を作れる人になりたいと思った。理論ではなく、佇まいで人が集まってくる場所。ヒトマップが目指しているのも、突き詰めればそういうものだと、美智子さんの隣にいて初めて、腹の底から分かった気がした。

そしてぼんやりと思った。もしかしたらぼくは、各地にこういう場所を持てばいいのかもしれない。一つの故郷を持つのではなく、各地に「美智子さんがいる場所」のような、周期的に戻ってこられる場所を少しずつ作っていく。それが、地元を持たないぼくなりの、住処つまり故郷の作り方なのかもしれない。

 

そのゲストハウスを出る直前から、新千歳空港に向かうまでの間に、まるで一冊の小説になりそうな出来事があった。一人の人に、声をかけられたことから始まった話だ。

それはまた、次のnoteに書く。

 

もう一つ、今年も去年と同じように響いた言葉がある。

山口周さんの言葉を引いた箇所だ。すぐに選択しないこと。悩みに悩んで選んだ決断のほうが、人生の納得感に繋がるという話。

去年それを聴いたとき、ぼくはお守りにした。人生という物語をどのように美しく味わうかの焦りを「悩んでいる最中だから」と言い訳するための言葉ではなく、「本当に選ぶために時間をかけていい」という、誰かからのささやかな優しさあふれる祝祭の手紙として受け取った。

今年同じ言葉を聴いたとき、ぼくは去年の自分を思い出した。

あのとき刺さった言葉を胸に、この一年を動いてきた。人生史研究の分析を前に手が止まる夜も、ヒトマップの作業が深夜まで続く日も、眠れない時間も、全部「悩んでいる最中」だった。その時間が、無駄じゃなかったと、今年の山口周さんの引用が静かに肯定してくれた。

肯定されると、少し泣きたくなる。ぼくはそういう人間だ。

去年より刺さらなかった講義のことを、ぼくはしばらく考えた。

刺さらなかったのは、鈍くなったからではない。去年刺さった言葉が、すでに血肉になっているからだと今は思う。地図は使い続けると、体の中に入っていく。そうなると、もう広げなくても、足が勝手に動く。

ぼくはまだ、どこへ向かうかを言葉にできていない。でも今日の講義を聴きながら、ヒトマップのことを考えていた自分に、後ろめたさがなかった。それだけで、今のぼくには充分な答えな気がした。

「居場所の選択」とは、就職先を選ぶことではなかった。少なくとも、ぼくにとっては。
どの土地で、どんな人たちの隣で、どんな周期で生きるかを選ぶことだった。その問いを抱えたまま、ぼくはまだ旅の途中にいる。

図書館で一人、本を貪るように読んでいたあの子は、いつのまにか各地に出かけて、見知らぬ人の話を貪るように聞き、それを自分だけのものにはせずに他者を巻き込み、いろんな人の人生史を集めて地図上に落とし込み、同じ志、visionをもつ仲間とコミュニティを作り、遊牧民、狩猟採集民族のように動き続けるそのワクワクした純粋な好き、好奇心が、ぼくをここまで連れてきた。浦河町ありがとう。本当にありがとう。感謝してもしきれない。

25歳まで、まだ時間はある。焦らず気長に行こうじゃないか。
最後にアフリカの諺を残しとく。

「早く行きたければ1人で行け。遠くへ行きたければみんなで行け」

仲間と協力してより良い状態を目指すことの大切さを伝えるため神馬さんが引用したアフリカの諺
故郷を探す旅は、続いているし、故郷をどんなふうに盛り上げていくかも考え中であるがもがき苦しみ悩み楽しみながら動き続けているので心配ないだろう。そんなことを思った次第。

Back arr

Contact